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ハルの記録

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PTSDと診断を受けてから私なりに考えたり思ったりしたこと

※とっても長いです。そして専門用語が少し出てきます。専門用語にはリンクを張ったのでわからない場合は参照してください。

以前、ブログにも書いたように、病名の告知は去年の夏頃だったけれど、
私が知らされてなかっただけで、かなり前からPTSDを患っていた。
時々フラッシュバックは起きていたので、その度にPTSDは疑ったんだけど、
PTSDと診断されるのが怖かったことと、改めて過去のことを話したくなかったこと、話すことで過去と自分と正々堂々と向き合うことが怖かったこと・・・。
それで結局、自分から主治医に確認することができなくて、私が去年の夏頃に調子を崩したのをきっかけに告知されることとなった。
以前書いたように、告知することで私の病状が悪化する可能性が高かったので、告知するタイミングを何年も先延ばしにしてしまった事情もあるけれど。

疑ったことが何度かあると言っても、告知は突然のことだったので、心の準備は全然出来てないままだった。
告知されてしばらくは「やっぱりPTSDだったのか」という思いと「えっPTSDなの?」という思いがごちゃごちゃになってた。
でも、告知したからといって治療法が急に変わることはないだろうし、
当然私自身が急に変わることもないだろうから、今までどおり過ごしたらいいやという考えに落ち着いた。
でも、今年の冬にフラッシュバックが起きて、家族を傷つけてしまって、
きちんと病気とそして過去と向き合わなきゃいけないんじゃないかと思うようになった。

まず、PTSDについてネットで情報を探してみた。
けれど、PTSDについて間違った情報、あるいは間違った認識を元にして書かれたものが多くて、
悲しくなったのと同時に、偽の情報に引き込まれてはいけないと、ネットの情報はあてにしないことにした。
例えば、PTSDについての説明文が「過去に囚われて身動きができない状態」の一文だけだったり、
(ちなみに金銭が発生する某カウンセリングセンターのHP)
「家庭環境が悪いせいでPTSDになったけど治った」体験談を読んでも、
自分の考え方の歪みの直し方をつらつら書いてあるだけで、PTSDの症状についてどう対処してきたのか一つも書いてなかったり。
家庭環境が悪くて苦労したのは本当かもしれないけど、診断受けてないのにPTSDという名前を出されたら、肝心な考え方の歪みの直し方も信じられないよね(苦笑)
勿論、きちんと診断を受けて闘病していて、それを私みたいにブログに綴ってる方もいるんだけど、
トラウマ体験も症状の出方も人それぞれなので、その人の対処法をそっくりそのまま私に当てはめることは出来ない。
ただ、共感できるところはたくさんあるし、同じように闘ってる人がいると思うだけで励みになるから、参考程度に留めてる。

「PTSD」「トラウマ」「フラッシュバック」の言葉はみんな知っていても、PTSDの症状をきちんと知ってる人は少ないだろうし、
鬱やパニック障害等と比べると患者数も少ない(私みたいに向き合うのが怖くて医師に申告しないケース・医師が告知したくても出来ないケースがあって「隠れPTSD」の人もいるかなとは思うけど)から、ネットでも間違ってる情報が多いのかなと。
勿論、鬱やパニック障害も偽の情報は多いけど、偽の情報の比率がPTSDの方が高く感じた。
認知度が低ければ、悪い人たちも色々と「やりやすい」しね。

特に「フラッシュバック」という言葉は誤用されてると思う。
フラッシュバックはウィキペディアにもあるように、「フラッシュバックという用語は過去に起こった記憶で、その記憶が無意識に思い出されかつそれが現実に起こっているかのような感覚が非常に激しいときに特に使われる」なので、
単純に過去の辛いことを思い出して激しく落ち込むのとは全く違う。
人それぞれ、程度や捉え方の違いはあるだろうけど、私の場合、
過去のことと頭ではわかっていても、過去のことが今現実に起きていると錯覚して苦しくなったり、
辛すぎて忘れてしまったトラウマ体験にも関わらず、その当時の心情だけ蘇ってきて、
「あの時は苦しかった」ではなくて、「今、辛い。孤独だ苦しい悲しい。」となってしまう。
目に見える症状としては涙が止まらなかったり、過呼吸になったり、震えが止まらなかったり・・・。
目に見える症状も目に見えない心理的な症状も色々と現れるけど、一言で言えば「錯乱状態」。
もう二度と経験したくない。
私自身、PTSDと告知されるまで、フラッシュバックという言葉を誤用してたところはあるものの、
実際にフラッシュバックを経験してたから、感覚的に、「これは単純に過去を思い出して辛くなるのとは全く違う」のはわかってた。
だからこそ、主治医に話せなかった。
普通の体験ではないし、何と話せばいいかわからないし、そもそもフラッシュバックがこんな風に起きましたと詳しく話すのも辛いし、トラウマ体験自体は何年も前のことなのに信じてもらえるだろうか、と不安で、
話すにしても言葉を濁して、肝心なことは話さなかったままだったと思う。

私は言葉を生き物のようだと思っていて、廃れていく言葉、流行っていく言葉、意味を変えて残っていく言葉・・・言葉たちは形を変えて時代とともに進化していく。
だから、フラッシュバックという専門用語が一般的に使われること、そして、誤用されること自体は言葉の性質を考えたら仕方ないと思うし、
私自身、PTSDと告知されるまで誤用してたし、きっと気づいていないだけで、他の言葉も誤用してると思う。
でも、だからと言って本来の専門用語としてフラッシュバックという言葉を使う場合に、
当然一般的に使われてるフラッシュバックという言葉の意味合いと同じように使う訳にはいかないし、
そこを混同されるのは、そして実際に混同してる人がいるのは当事者としてはとても悲しい。
ただ、自分自身も誤用してた側だったから、フラッシュバックに限らず他のことについても反省や見直しする点はあると思うけど。
あと、フラッシュバックやPTSDが特別辛い症状・病気だから特別視しろと言いたいわけではなくて、
PTSDのフラッシュバックというものがどのようなものかきちんと認識しないことには、当事者とそうでない人との相互理解は深まらないと思うから。

PTSDの主な症状は、「フラッシュバック」「トラウマ体験の回避行動及び感情の麻痺」「過覚醒」の3つ。
いつも説明で使ってるページには過敏症状という言葉を使っていますが、過覚醒・亢進症状<こうしんしょうじょう>という言葉が一般的に用いられているので、このブログでも過覚醒という表記をこれからします)
フラッシュバックの説明はさっきの通り。
トラウマ体験の回避行動は文字通り、トラウマ体験を思い起こさせる物を避ける行動を取ること。
回避行動は、PTSDの場合、普通に嫌なことを避ける場合以外の範囲も含まれてしまうから、端から見たら病的で理解に苦しむかもしれない。
私はいわゆる「人災」がトラウマ体験なんだけど、そのトラウマに関連する人が好きだと言っていたTV番組は絶対に見ません(苦笑)
だいぶおかしいでしょ?その人はそのTV番組の出演者ではないのに。
頭ではわかってても心がついていかない、というやつです。
感情の麻痺は前の記事に書いたとおり、自分の気持ちに鈍感になったりわからなくなってしまったりすること。
特にトラウマ体験に対してそうなるから「トラウマ体験の」という言葉を症状の説明につけるんだろうね。
「感情の麻痺」という言葉自体、解離症状を指していると個人的には思ってます。
人によっては解離性障害と診断されて、それに苦しむ場合もあると思う。
私の場合は離人感という形で現れることが多いです。
離人症性障害に関しては、PTSDと告知される前から診断を受けていました。
離人症は恐らく小学校高学年辺りから発症していたので、私にとってはすごく身近なものなので、改めて告知されても特にショックはなかったのですが、
PTSD由来で離人症性障害も発症したんだろうなあと思うと、PTSDを告知されて以降は今までどおりの向き合い方ではいけないなと感じています。
私の場合、持続して症状がある訳ではなくて疲れると症状が出てくるタイプなのですが、
最近は私が気がついてないだけで離人感が出ている場合がある、もしくは自覚できない軽度の離人感はある程度持続的に出ているのかもしれないと思っています。
離人症性障害についてはまだ私自身の知識が浅いので、これから勉強するつもりです。

そして、恐らく一番知られていない症状が過覚醒です。
過度の警戒心・音や光への過敏症状・感情の爆発・・・。
これらはPTSDに限らず、他の精神病でも起こりうる症状だよね。
だからこそ見過ごしやすいというのが1つと、他の2つの症状が人に話しにくかったり、説明自体が難しかったり、自分では認めるのが辛い症状だから、
過覚醒だけは自覚して何とかしたいと思っても、他の2つを自分で認めて医者に話さないかぎり、PTSDの診断が下りるのは難しいかもしれない。
それから、フラッシュバックがあまり起きなくて、安全な環境下で暮らせていて、トラウマを想起させる場面自体が少ないPTSD当事者にとっては、
生活していく上で一番頭を悩ませる症状ではないかなと思います。
私はひどい時は太陽の光もダメです。好きな音楽はおろか、クラシック音楽も聴けません。
TVは光と音と2つの刺激があるので、とても苦手。
でもドラマは結構好きなので、録画して調子のいい時に小さめの音で字幕付きで見ています。
最近苦手なのが、ショッピングモール。
エスカレーターしゃべるし、アナウンスが定期的にかかるし、BGMは常に鳴ってるし・・・。
それから、前の記事に書いた、怒りが爆発した話ももしかしたら過覚醒の症状の1つだったのかもしれないと思っています。
感情が麻痺して自分の気持ちがよくわからないか、警戒心が強くなって悲しみや怒りが頭から離れなくなるかのどちらかで、
「ちょうどいい具合」に感情を感じられないのが辛い。

ちなみに、私がネットで見る限り、ですが、PTSDと医師からきちんと診断を受けてる方は、
程度や症状の出方は様々ですが、この3つの症状は確実に出ているように思うので、
3つの症状のどれか1つが欠けていたり、1つの症状についてだけしか語られていなかったりしたら、そのネットの情報はあてにしません。
(2017/09/01追記:この3つの症状が3つとも確実な形で出ていなくとも、症状のせいで日常生活に支障をきたしている場合、診断が下りることもあるそうです。)

PTSDになってから、自分がPTSDであると少数の人に告白しました。
その中の、同じように精神病を患ってる一部の人たちに、「私よりも辛い思いをしたんだね」と言われました。
私はその言葉に違和感を感じたと同時に、私がPTSDと疑っても認めるのが怖かった原因の一端をその言葉に見た気がします。

先にも挙げたとおり、「PTSD」「トラウマ」「フラッシュバック」という言葉だけは知られているけど、その言葉についてのきちんとした知識を持っている人が少ないこと。
それ故に、「特殊な体験をした人がなる特殊な病気」「PTSD=可哀想な人」という風にみなす人がいること。
そして私もその中の一人だったということ。
なので、敢えて、PTSDの症状を羅列してみました。
PTSDの症状が書かれてるページは数多くあるけど、当事者が敢えて説明してるページってないなあとも思ったので・・・。
こうやって症状を改めて見てみると、私は、心理学や精神医学の専門家ではないけれど、辛い出来事に対してごく当たり前の反応が病的になってしまったのがPTSDだよなと思う。
けれど、トラウマに対しての反応は人それぞれだから、PTSDにならずとも、他の病気や症状として現れる人もいるよね。

つまり何が言いたいかというと、辛い気持ちはその人だけのもので、何かを基準にしたり比べたりするのは間違ってると思う。
PTSDだから辛い??PTSDじゃないから辛くない??そんな訳ないよね。
鬱もパニック障害も不眠症も風邪もインフルエンザも花粉症もそれぞれの辛さがあるよ。
PTSDを引き起こしたトラウマ体験とその体験をしたこと自体は特殊で可哀想かもしれないけど、
PTSDという病気そのものとその患者は別に特殊でもなければ可哀想でもない。
トラウマ体験はその患者の人生の一部に過ぎなくて、体験前も体験後も楽しい出来事があれば笑うし、(よほど感情の麻痺が起きてないかぎりだけど笑)
トラウマ体験そのものよりも、その後どうやって普通の生活をしていくかの方がずっと重要になってくるんだよね。
ご飯を食べたり寝たり、遊びに行ったり趣味を楽しむといったごく普通の生活の中に、PTSDの症状が介入してくるのが本当に悔しくて辛くて、
結局突き詰めるとトラウマ体験が自分の中で「ただの辛かった過去」となっていないところも辛くて。
自分の人生はトラウマ体験だけではないし、それをベースに人生語るのは嫌だ。
だから、「私より辛い思いをしたんだね」と悲劇のヒロイン扱いされるのも嫌だ。
とにかく一日でも早くトラウマを「ただの辛かった過去」にして、普通の生活を普通にしていきたい。ただそれだけ。
可哀想だという気持ちを表すのが私にとって「慰めになって有益だ」と感じて、「優しい気持ち」でそういう言葉を掛けてくれたなら、
善意は素直に受け取るけれど、その善意をぜひともPTSDがどういった病気であるのか知識を深める方に持っていって欲しいと思う。

私自身、PTSDと告知される前は、誤診を受けたり、病名がはっきりしなかったり(今思えば医者がはっきり言えなかっただけなんだけど)したことで、不安になった時期もあって。
PTSDと告知されたことで、症状と自分に感じていた違和感がはっきりとしたから、
病名を受け入れるまでは時間がかかったけど、今ものすごくすっきりしてる。
あと、PTSDと自覚して、自分なりに自分の気持ちや症状に向き合った結果、
ものすごく色んなことに気づいて、アプローチの仕方を変えるだけで、こんなにも変わってくるのか!とびっくりしてる。
そのアプローチについて、トラウマ体験に目を向けることも勿論必要なんだけど、
今困ってる症状について、今すぐ対処できる方法を知らないことには、普通の生活は送れないし、
何よりもトラウマ体験に目を向けすぎて、症状が悪化してしまうこともある。
「今現在」と「過去」に目を向けるバランスが本当に難しいと日々感じる。
そして、この記事にも書いたけど、PTSDであることをアイデンティティーとしてしまったら、結局それは悲劇のヒロインになるのと同じことなんだよね。
私にその気持ちが全く無いかと言われれば、やっぱり「NO」なのです。
正直、ある程度、悲劇のヒロイン的な気持ちはあります。
相手に求めるだけではなくて、自分もその気持ちを手放さないと、相互理解は深まらないし治らないなあと思うのです。

・・・ここ数ヶ月の間に考えてたことを文章にしたので、ものすごく長くなったし、伝えたいことが伝わったのか不明だけど、私自身は非常にすっきりしました(笑)
とりあえずこれ考えて書くのにものすごく時間がかかって大変だったので、最悪私の伝えたい事が伝わらなくても最後まで読んだら拍手ボタン押して欲しいよ!なんてね!

◆前回の記事のコメント返信しました。

◆あと、詩のブログですが、4ヶ月ぶりに更新したのと、不定期ですがみんなに忘れられないように、日曜日正午に記事を更新することにしました。
来週の日曜日正午にまたひとつ作品がアップされるので、よかったら遊びに来てね。
こうやって創作活動をすることも、治療に繋がるらしいので、最近は結構精力的に書いています。

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