号泣議員に思いを馳せる Category:思ったこと Date:2015年11月30日 久しぶりにパニック(パニック発作ではなく、単純なパニック)とひどい鬱になってしまった。色々なことが重なった故にそうなった。私はその日確実におかしかったし、自分でも自覚していた。でも、すぐにどうすることも出来なくてじっとしていた。そんな時に野々村元議員が出廷しなかったというニュースを目にした。私がこのパニック状態よりもっとおかしかった頃を思い出した。症状が重かった20代の頃。どんな風におかしかったのかは自分でも驚くくらい覚えていないので説明の仕様がない。ただ、当時は本当に苦しく、そして必死だった。でも楽になった部分もあった。それは自分の重い症状をアイデンティティーにしたこと。その世界にどっぷりはまって余計なことは何も考えずに済んだ。その代わり「私は病気だから」を免罪符に多くの人を振り回し傷つけることになったのだけど、当時の私は何も考えてなかったので、自分のことを棚に上げて、「病気に対して偏見を持った人とは付き合えない」位にしか思っていなかったと思う。自分はなんてことをしたのだろうと猛省しても、人は戻ってこないんだ…とそこから抜け出した時にようやく気がついた。本当に恥ずかしい、黒歴史。もちろん、病気は自分から望んでなったものではないし、重い症状だってそう。ただ、自分の感情や意見を他人にも自分にも正直に表せなかった当時の私にとって、例え望んでいなくても、確実に存在しているこの症状を利用すれば、自分の主張が出来る。と、無意識に思ってしまったんだと思う。とてもとても歪んだ考えなんだけど。もし野々村元議員が精神科にかかったら、何かしらの病名がつくんだろう。あんな風になった経緯はわからないけど、言いたいことが言えない場面があって、泣いてみたら構ってもらえて望みも叶ったし注意する大人もいなかったから味をしめて…というところかもしれない。一旦おかしくなると、それを軸として貫き行動していけば何も考えずに済むから、楽。彼は貫くどころか、おかしいのが染み付いてしまって本当におかしくなってしまったんだろう。今は世間とマスコミに癇癪を起こせるから、ある意味彼は「保てている」けど、裁判が終わって世間の関心が薄れて、両親をはじめとした「癇癪を許してくれる」人たちもいなくなったとき、彼はどこに癇癪を起こすんだろう?歪んだアイデンティティーとそのパワーをどこに向けるのかな。ただ、ひとつだけ、おかしかった当時の私と野々村元議員がうらやましいなと思うのは、貫けるものがあること。もちろん貫くものの種類がこういうものではなくて、ちゃんとしたことで貫けるものがあればいいなと思う。自分の意志や信念、誇り…になるのかな。 まずは貫く勇気が欲しいと思う今日この頃。 [1回]PR