私は病気になる前は乗り物は苦手なんかじゃなくむしろ好きだった。
それは病気になってからも勿論覚えていたこと。
けれど、体や心でどんな風に乗り物が好きという気持ちを感じていたのか忘れてしまって、
病気になってからは、本当に好きだったんだろうか?と疑ってしまうくらいだった。
今の心療内科に初めて行った時、背中を丸めて電車の座席に座り、
薄い雲がかかる西陽をぼんやり眺めてた。
途中、大きな川を3つほど渡る。
鉄橋の端にある踏切で車や人が立ち止まり、太陽の位置はさほど変わらぬまま踏切の音が後ろに流れてゆく。
不意に、生まれた街のことを思い出した。
当時住んでいた家からの最寄り駅は海に近く、小さいながらも川があった。
川の上を電車が走る風景も、電車に乗って川をゴトゴトと渡ることも、生活のごく一部だった。
大人になり写真が趣味になる頃には、川の上を走る電車をよくカメラに収めていた。
次は、学生時代を思い出した。
当時、私はどんよりした気分になると、回り道をして帰った。
電車で10分ほどの区間をわざわざバスに乗り30分以上かけて帰ったり、
とにかく空いた電車にぼんやりと座っていたくて、各駅停車の電車に乗車駅から降車駅までずっと乗っていたり。
窓から見える知らない街に、知らない人と知らない建物。
私が知らないだけで、あそこにも生活が、世界が存在してる。
私が思っているより世界は広いんだなあ。
私は一人じゃないんだな。
そんな風に思えて、少し気持ちが晴れた。
生まれた街のことや、学生時代のことを電車内で思い出すと同時に、
本来持っていたであろう乗り物が好きという気持ちが“体感”として蘇ってきた。
窓から見える景色を見て、あそこにも生活がある、ここにも世界があると体と心で感じられている自分に、あの頃と寸分の違いもない感覚に、本当に驚いた。
この日を境に、乗り物への恐怖がうんと減った。
「頭でしかわかってないこと」が、体と心でもわかるようになって初めて「わかった」と言えるのかもしれない。
それにしても、不思議な体験をした。
私が生まれた街の川の上を走る電車
前回の記事をブログにアップしてから数時間後、
興味深いネット記事を見つけ、それをいつでも読めるように、Evernoteにクリップしておこうと思って開いた。
該当記事をクリップし終えた後に、「ブログ下書き」と書いてあるノートを見つけたので開いてみると、上記の文章が書いてあった。
今の心療内科に初めてかかったのは、去年の年始。
その時に上記に書いた不思議な事を経験して、いつかこれをブログに上げようと文章を書くだけ書いて、Evernoteに放り込んだままにしていたようだ。
少し文章を修正したので、最終更新日の日付が最近の日付に変わってしまい、
いつ頃文章を考えたのかわからなくなってしまいましたが、去年の間に書いたのは間違いありません。
前回の記事は、
さて、この先どうしようか。
頭で色んなことを考えても答えが出ないことは、明白だ。
でも、私の体の中に確実に答えがある。
確実に。
という風に締めくくりました。
今回載せた文章は、まるでこの締めくくりの文章の答えを言っているようで・・・。
まさか記事をアップした数時間後に答えを、しかも自分が前に書いた文章から見つけるとは思いもよらず。
不思議な体験にまつわる文章の、不思議な話でした。
続きは前回の記事に頂いた拍手のお返事です。