ある日のこと Category:闘病記 Date:2020年03月10日 少し先にある踏切が鳴り始めた。もうすぐ電車が来る。この電車に乗れば、時間に間に合うだろう。次の電車では遅刻する。この距離なら走れば間に合う。ーーでも、走れなかった。どこか怪我しているわけではない。お腹の具合はあまり良くなかったが、痛みもない。けれど、走ることを体が拒否している。そんな感じがした。「逃した魚は大きい」ではないが、普段電車を逃すと、落胆でため息のひとつくらい出たりする。この日はため息ひとつ出なかった。焦りもなかった。どうして走れなかったんだろうとは思ったが。その一方で、今日はずいぶんと空が青いと思った。急行電車に乗り換え、主要な駅に停まるとかなりの人が降りた。乗ってくる人はあまりいない。さっきより人が少なくなった車内は、緊張した空気がほどけ、時間のスピードが緩んだ気さえする。席も空いたので座った。この感じなら隣に人が座ってくることもなさそうだ。窓際なので景色も眺められるし、さっきよりはリラックスして過ごせる。普段ならそう思う。普段ならば。なんとも思わないのだ。驚くほどに。電車を乗り過ごしても落ち込まず、いつもより空が青いと思っても綺麗とは思わない。とはいえ、落ち込まないことや綺麗とは思わないこと・・・要は感性が消滅していること自体はきちんと認識しているのだ。離人症なので仕方ないのもわかっている。が、これじゃあだめだという思いがなかなか消えなかった。なんとも思わない一方で、見渡す人も物も何もかも怖くなっていることに気づく。普段ならリラックスして過ごせる車内の中で、心細くて泣きそうになり、体を丸めた。以前、ブログに書いたと思うが、好き嫌いや快不快の感情は、何が安全で何が危険なのかを判断する力に繋がる。麻痺した心を、電車のように“目的地”に運ぶ術を私は知らないが、捨てるわけにはいかない。だから、この日のことをブログに書こうと決めた。好きなように書こうと決めた。 [2回]PR