何も持てない泣き虫のまま Category:闘病記 Date:2017年03月16日 先日、新しい病院での二度目の診察日でした。前にかかったことのあるお医者さんとはいえ、それはもう8年以上前のこと。一から仕切り直しをしてる段階で、血液検査や心理検査などをしています。診察の時間はけして長くはないけれど、先生は遠慮なく質問や提案をしてくれるので、自分の気持ちを伝えるのが下手な私にとっては、話しやすくてありがたいです。8年以上前にかかった時は、本当に症状がひどくて、その頃のことをぼんやりとしか思い出せないけど、また改めてこうしてかかってみると、当時の診察の空気と、今の診察の空気が、なんとなくですがリンクする部分が度々あり、少し懐かしい気持ちにもなります。二度目の診察を終えて帰宅した時、私は疲れからか少し頭が混乱してしまって。頭を整理すべく紙に色々と書き出してみて、気がついたことがあります。これからどういう治療を受けるのかは、わからない。けど、過去のこと。トラウマになった出来事。それを経験して生まれた寂しさや孤独。その寂しさや孤独が未だに癒やされていない事実。起こった出来事だけじゃなくて、その事実に目を向けていかなきゃいけないんだ。私はこれからそれをしていかなきゃいけないし、それが治療なんだ、と。…改めてそれに気がついて。と言うより思い知らされたのかも。そういうことが治療に繋がることは既に知ってたけど、勇気も覚悟も持てなかった。持つ力すらなかった。今までは自分の感情を麻痺させることで、寂しさや孤独に向き合わなくて済んでいたんだと思う。それは意識的にやったことじゃない。だからコントロール出来ず寂しさや孤独以外の気持ちとも向き合えなくなってしまった。でも、勇気と覚悟を持つ力がない弱い自分でも、自分に代わりはないから…ひたすら守るしかないよね。やり方は間違っていたのかもしれないけど。少しづつ感情の麻痺や離人感が良くなり(まだ完全ではないけど)、悲しいと思ったらすぐ泣けるようにもなり、びっくりするほど泣き虫になった。今は三日に一度は泣いてるんじゃないかな苦笑それでもまだまだ泣き足りない自分がいる。助けてと叫びたい自分もいる。自分のことなのにどれだけの寂しさや孤独を抱えているのか全くわからない。泣いても泣いても解消されない寂しさや孤独。そんなのとは向き合いたくない。怖い。気がついても、思い知らされても、離人感が軽減されても、やっぱり勇気と覚悟が持てなくて。弱いまんま。それどころか、向き合うことが怖くてまた大泣きする始末(ホントに泣いたよ苦笑)勇気も覚悟も持てる日なんて、多分来ない。でも、何も持たなくても、持てなくても、泣きながらでもいいから、一歩踏み出さなきゃね。 [1回]PR