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ハルの記録

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流動する。きっとこれからも。

「耐える・我慢する」という言葉と「頑張る」という言葉の意味は、当たり前だけど違う。
精神疾患は何故起こるのか?ということを簡単に非当事者に説明する時に、
「頑張り過ぎて、体と心(脳)がバーンアウトした」といった感じで説明がなされることが多いけれど、
頑張りすぎたのではなく、「耐え過ぎた」「我慢しすぎた」からバーンアウトしたんだと当事者の一人として思う。

耐えることや我慢することは、時と場合によってはその行為自体が美しいと捉えられることもあり、
実は嫌で耐えていても、我慢していても、周りから見れば「この人頑張っている」と思われることもあるし、
例え誰かに「頑張っているね」と言われなくても、そういう物の見方を逆手に取って、
「私は頑張っている」と言い聞かせて、自分で自分を慰めてみたり、嫌な出来事やそれに為す術なく耐えている惨めな自分から目線を逸らせようとする。
他人に言われようが自分で言い聞かせようが、我慢を重ねて揺らぎやすくなっている心は勘違いをする。
「私は頑張っている。それは本当にいいことで、私は率先していいことをしているのだ」と。

「頑張っている」と「我慢する・耐える」を勘違いしないようにするには、
自分が今どう感じているかをきちんと自覚することだと思う。
辛くても我慢して耐えなければいけない局面は当然あるけれど、
「辛さ」さえ感じていれば、それにどう対処していけばいいのか考えることが出来るから、
そこから抜け出す行動を取ることが出来る。
(ちなみに「辛さから抜け出す行動」の中には、単純に「逃げる」も入ってるよ。それしか選べない状況もあるから)

数年前まで私は「こんなに頑張ってきたのにどうして病気になってしまったのだろう」とか、
「頑張っているのにちっとも病気が治らない・上手くいかない」などと考えることが本当に多かった。
「頑張る」と「我慢する・耐える」がまぜこぜになってしまい、結果、思考停止に陥ってしまってたのだと思う。
頑張ることはいいこと。だからこれ以上何をどう改善するかを考えても仕方ない、と。
こんな時だけ「頑張る」という言葉を自分の都合のいいように解釈していた。
時には離人症状をも利用し、辛さという大事な感情を片隅に追いやって、問題に理論的に対処しようとせずにふらふらとやり過ごしていた。

病気になる前から数年前までの、自分の感情を誤魔化してきた昔の私に対して、
今の私は、「どうして」だとか「バカだな」と思うけれど、
後悔したところでやり直せないので、反省してもうしないようにしようと思っている。
そうは思っていても、時折病気の症状に引っ張られて、私は「誤魔化してきたあの頃」の自分に容易く戻ってしまう。
「今」を感じて、過ごして、積み重ねて生きていくのが理想だけど、なかなか上手くいかない。

少し前にTwitterにも書いたけれど、
嫌でも昔の自分に引き戻されてしまうことを、これから私はこう解釈することにした。
昔の自分は、恐らく色んなことを悔やんでいる。
悲しい・辛い・苦しいという感情をもっと表に出せばよかった。
それとは別に楽しいことも存分にやればよかった。
もっともっと怒ったってよかった。
自分の心に則って自分の自由に生きればよかった。
そういった気持ちが症状を通して、今の自分に訴えかけているのだとしたら、
今の自分に出来ることは、その気持ちを受け止めて生き直してあげることなのではないか。
結果、今現在を生きられない時間が発生してしまっても、それで昔の後悔が報われれば、きっといい方向に向かうのではないかと。

私はこの考えが出てきたことに、自分でびっくりしてしまった。
別に大きなきっかけがあって、こんな風に思えるようになったわけではない。
急に病状が良くなったわけでもないし、トラウマもなくなったわけではない。

敢えてひとつ挙げるならば、
私が自分の気持ちを無視しないように努力するようになってから、離人症がだんだん良くなっていることだと思う。
(離人症の詳しい説明はここを参照してね)
私の場合、ひどいと時間の認識がなくなってしまう。
例えば時計を見て夜中の1時という「数字」を認識することは出来ても「今の時間は夜中の1時である」という「事実」を認識することが出来ない。
だから、たとえ明日の朝用事があっても、慌てて寝ようとすることなく、なんとなく起きてしまったりする。
過去の自分に引き戻されることとは別に、今現在を生きられない時間が私の日常の中にこんな形で頻繁に存在していた。
離人症が良くなってきてると同時に、時間の認識力(?)がなくなることも、減ってきている。

私が精神病棟に何度もお世話になっていた頃、同室のおばあさんとものすごく仲良くなり、お互い退院した後も時々手紙のやり取りをした。
中でも、
「ハルちゃん、川の流れに任せるようにして、焦らずゆっくり生きていけばいいんだよ、人生長いんだからね」という趣旨の文章がとても印象深くて、今でも胸に残っている。

自然が移ろいゆくように、私たちも毎日新しい細胞を作り、古い細胞を捨てて、血液を循環させながら生きている。
自分の中で起きている「流れ」に身を任せていれば、脳に限らず、見えない内側の部分も確実に流動する。
それは「時間が薬になる」と言いかえることが出来るのかもしれない。

同じPTSD罹患者ならわかってくれると思うのだけど、
トラウマになった出来事やそれに対する感情は、何かのきっかけで、
それがどんなに昔のことであっても、今目の前に起こっているかのように再現されてしまうことがある。
トラウマの記憶だけ瞬間冷凍保存してるのかな?というくらい、いつも恐ろしく新鮮で。

でも、上に書いたような考え方が出来るようになったということは、
少しずつ少しずつ、記憶も感情も変化してきているのは間違いないだろう。
仮に冷凍保存されているのだとしたら、少し氷が溶けて形が変わっているのかもしれないし、
あるいは、私が冷たい記憶にほんの少し触れるようになっただけなのかもしれない。
どういった変化なのかは全くわからない。
わかる日は来ないかもしれない。
ただ、症状に対して前向きに考えられるようになったこと。
離人症が良くなってきて、時間の流れに身を任せられるようになってきたこと。
「頑張る」と「耐える・我慢する」の違いがわかるようになってきたことは事実。

つづきは、私が最近頑張っていることや頑張りたいなあと思うこと。
決して仕方なくやって我慢してることではありません!(笑)



*読書
最近、YouTubeでニュースを見ているのですが、専門家の人たちが私の知らないことを話していると、
いろんなこと知っててすごいな!かっこいいな!専門家はさすがに無理だけど、色んなこと知ってる人になりたい!と強く思うようになり、読書熱が高まっています。
病気になる前と比べると理解力も落ちたので読書ペースはかなり遅くて悔しいんだけど、
まあそんなこと言ってもどうしようもないので、今の私が出来る範囲で頑張ってます。
うーんでもひと月に5冊くらい読める日が来たらいいな・・・。
わがままで欲張りな私です。

*お菓子作り
前の記事にも書きましたが、胃腸があまりにも弱いので、市販のお菓子(油を使っているもの)を食べるのをやめたらお腹を壊さなくなりました。
チョコレートなんて大好きで、毎日のように食べてたけど、もう何ヶ月も食べてないです。
正直、市販のお菓子が私にとっては毒にしか見えない・・・怖くて食べる気にもなりません。
でもね、やっぱり間食したい時はあるよ!小腹空くよ!
市販のお菓子以外で間食しましょうか、となると結構限られるし飽きてしまうんだよね。
常に何種類もストックするのも難しいし。
自分で作ったお菓子なら、市販のと違って油が酸化してないから大丈夫なんだよね。
だから、間食用にもっと頻繁に作りたい!

*筋トレ
一時期、自律神経が本当におかしくて、クーラーを付けた途端に汗がダラダラ出てきて大変だったことがあって。
今でも完全には治ってないんだけどね。
とにかく筋肉つけて代謝を上げたいな~ついでにぽっこりお腹も解消できたらな~と思って、
出来る時にスクワットはじめました。
調子悪い日が続くと何日もやらないので、筋肉つけてもすぐ落ちてると思うけど(苦笑)、
やる前よりは確実に変な汗はかかなくなりました!

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