忍者ブログ

ハルの記録

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

感情を蔑ろにする自己啓発論はただの害悪

昔から自己啓発をウリにした物はありますが、ネットの普及でより手軽にそれらに触れられるようになりました。
ただ、よくよく見てみると行き過ぎた表現も多く、
特にTwitterは、文字制限があるのと、インパクトが大きれば拡散されて多くの人の目に晒されやすい点から、その種のものが多いように思います。
勿論、文脈の捉え方は人それぞれだし、置かれてる境遇によってはきつい言葉を目にしたことで助けられた人もいるでしょう。
ただ、そのような物の中で私が一番危惧するのは、「こう思う(感じる)のは無駄だからとっとと行動しろ」というような表現をしている文言が割と多いことです。
何故、危惧しているかというと、ここで再三言っているように、私は離人症で、自分の感情や気持ちに気がつきにくく、そのことで余計にストレスを招く結果となったからです。
私のように慢性的な離人症となると、健康な人からすれば、極端な事例で参考にならない点もあると思いますが、感情を蔑ろにした先の先にはこういう結果が待っているという指標にはなるでしょう。
ちなみに、離人症の症状自体は、健康な人にも起こりうるものです。
(詳細はこちらを参照してください)

そもそも感情は何の為に私たちに備わっているのでしょうか。
私は昨年末、「2100年の科学ライフ」という本を読みました。
その中で興味深い記述があり、そのページの写真を撮りました。
以下、そこからの引用です。

われわれの感情はどれも(嫌悪、妬み、恐怖、愛など)、敵意に満ちた世界の危険からおのれを守り、繁殖を助けるように、数百万年かけて進化してきた。どの感情も、われわれの遺伝子を次の世代に伝えるのに役立っているのである。

脳の損傷や病気を持つ患者のなかには、脳内の思考する部位(大脳皮質)と感情中枢(扁桃核など、脳の中心の深いところにある)との結合が切れている人がいた。彼らは、感情を表現しづらいことを除けば、まるっきり正常だった。

研究を始めてすぐに、ひとつの問題が明らかになった。その患者たちは、選択ができなかったのだ。買い物は悪夢のようだった。値段が高くても安くても、派手でも上品でも、彼らにはみな同じ価値なのだから。人と会う日を決めることもほとんどできない。未来の日はどれも同じだからだ。
彼らは「わかってはいても感じていない」ようだ、とこれを研究した神経学者は言っている。

つまり、感情の主な目的のひとつは、われわれに価値観を与え、何が重要で、何が高価で、何がかわいくて、何が貴重なのかを決められるようにすることなのだ。感情がなければ、すべてが同じ価値になり、無数の決断がどれも同じ重みで身動きがとれなくなってしまう。したがって、科学者は現在、感情が贅沢な存在であるどころか、知能に欠かせないものである事実を理解しだしている。
(P.110より一部改変及び省略)

ちなみにこの記述は、人工知能についての項目にあったものです。
人工知能の性能をよりよくするには、また人間社会で上手く活用するにはどうすればいいかという話の中でこの記述が出てきたと記憶しています。
人工知能にとっても感情が欠かせないものだと言うのなら、人間にとっては言わずもがなでしょう。

また、上記のことから、感情を蔑ろにすることの一番の弊害は、
危険と対峙した時、自分が発しているSOSに気がつけない、
または気がついても、自分の命が大事という価値観が抜け落ちてる為、命を守る選択肢を見出すことが出来ないことと言えるでしょう。
もし、どんな境遇にいても泣かない赤ちゃんがいたら、すぐに死んでしまいます。
赤ちゃんの例は極端にしても、辛い出来事に対峙した時に発露する感情(悲しみ・怒り・不愉快さなど)を否定していたら、辛い出来事に対して素直に感情を表すという選択肢を自ら奪うことになります。
それを繰り返すとどういうことが起きるのか、私が何度も体験したことを以下に記してみます。

不快な気持ちはあるものの、悲しいのか怒ってるのか何なのかわからない。
だから、不快な気持ちが起こってる理由がわからない。
天災等、手出しできないことが理由で不快になってるなら諦めればいい。
けど、自分で改善できることが不快になってる理由だとしたら、
改善しようと思う気持ちも持てなければ問題点自体を見過ごしてしまう…つまり、問題解決どころか、それに至る思考がまるっきり出来なくなるのです。
そして、不快だと感じても適切な対処が出来ず、ストレスは溜まるばかり。
これはあくまで個人の一例ですが、感情を否定し続けると、こうなる可能性があるということです。

それでも、落ち込んだり怒ったりくよくよすることは、前向きに行動することにおいて「邪魔」だから「排除」しなければならないと思う人がいると思います。
では、何故邪魔だと思うのですか?邪魔だからといって排除までする理由は何でしょうか?
仮にそういう感情を持ち続けることは、みっともない・情けない・男らしくない・大人気ない…などの理由だとしたら、それこそ論理的思考を捨て、感情や一般論に流されてると言えるのではないでしょうか。
ちなみに「迷うな」「悩むな」も自己啓発の類によく出てくる言葉ですが、上と同じことが言えるでしょう。

それから、落ち込まず迷わず悩まずにいる人が人生において正しい選択をしてるという根拠があるなら示して欲しいです。
おそらくそういった感情に囚われるなと言いたいのでしょうが、排除すれば囚われないという論理は、上に挙げた感情が果たす役割や言葉を持たない動物にすら感情が備わっていることを考えると横暴と言わざるを得ません。
そんな時間がもったいないと言うのは個人の主観なので押しつけるようなことは論外でしょう。
勿論、そういう価値観を持つことは個人の自由なので、そこまでの否定はしません。

行動に前向きな感情が伴えば、心から楽しむことが出来るでしょう。
それが他の人が避けるようなことや困難なことであればあるほど、一目置かれる存在になる可能性は高いです。
けれど、行動に伴う感情まで見てくれる人はあなたの周りにどれだけいるでしょうか?
結果を見て判断される場合がほとんどなのでは?
結果に至るプロセスは別にしても感情まで汲んでくれる人は身内などのごく一部のように思うのですが、どうでしょうか。

逆に言えば、結果さえ出せばどんな感情を持っていたっていいのです。
怪我などを負いながら苦労して獲った金メダルも、たいして練習しなかったけど獲った金メダルも、金メダルには変わりありません。
結果と結果に至る過程の好き嫌いや一個人の人格の好き嫌いは別問題です。

感情は感情。行動は行動です。
けれど、2つが完全に独立してる訳ではありません。
それぞれがそれぞれに影響を及ぼします。
大事なのは、2つを上手く共存させることではないでしょうか。
有名なところでは、認知行動療法は、共存のヒントになると個人的には思います。
ただ、感情に沿わない行動を続けるとストレスが溜まることを考えると、なるべく自分の感情を一番に考えて行動した方が精神面の健康は保てると思います。

離人症に特効薬はありません。必ず治る治療法もありません。

これについては、私より重症な人も軽症な人も、予備軍と言われる人も同じです。
生活を助けるために精神薬を出されることはあると思いますが、根本的な解決にはなりません。
カウンセラーによる心理療法も、治療したいという気持ちがなければ、効果は薄いです。
本の言葉を借りれば、治療するのが自分にとって大事だという価値観がなければ、治療において適切な選択をするのが難しいからです。
結局、「治したい」という気持ちが肝になってくるのです。


私はまだ離人症を患ったままですが、自分の感情に沿った行動を心がけてる者として少しだけ言わせてもらうと、
以前と比べて、自分で自分を責めたりするようなことが減りました。
自分を守るために自己主張しなければいけない場面でも、前よりは主張出来るようになってきています。
こうしなければいけない、こうあるべきだという妙なきまりごとより大事なものを選択した結果かなと思っています。

自己啓発を語るのも、その中でどんな表現をするのも自由ですが、発言内容には当然責任が問われます。
◯◯すべき、など断定的な表現を用いるなら、それなりの根拠を求められてもおかしくないと思います。

・・・とはいえ、
私は専門家ではないので一個人の意見として心に置いてくれれば幸いです。
あと、私のことは是非反面教師にしてください!(笑)


追記はあとがきのようなものと拍手のお返事。




私自身、離人症になりやすい素養を持ってることと、家庭環境が悪かったことから、
一般の人よりも離人症になりやすかったという点は認める。
けど振り返ってみると、病気になる前に何度もSOSは出してたのに、見ないようにしてたのも事実で。
当時、強い表現の自己啓発に影響を受けたからSOSを見ないようにしてた訳ではないし、
上にも書いたように発言の自由や表現の自由まで奪うつもりはないよ。
でも、心が弱ってるときほどこういう強い言葉に良くも悪くも揺さぶられてしまうのも確かで。
ただ、ネットで個人的に発信してるならまだしも、商売にする人もいるからね・・・。
おそらくこういった類のものは今後なくなることはないだろうし、こういう言葉を目にした時に少し立ち止まってみて欲しいなあと。
過去の自分に言い聞かせたいという自戒も込めて書いてみました。

「近況など」に頂いた拍手の返事

>1号たん
話し始めると急に込み上げるの不思議だよね。
話してて、自分でも思ってもなかったような言葉が出ると、
「ああ本当はこう思ってたのか」とハッとさせられたりね。
カウンセリングの話を書くのは自分のためでもあるのよ(笑)
濃い話も出来るようになってきたからさ、しんどいけど学ぶこともかなり多くて。
記録しないと忘れそうなんだ;;
楽しかったよー♪ 1号たんもこちらに来るときには是非連絡を!(笑)

拍手[0回]

PR