特命交渉人用地屋/前田伸夫 Category:読書感想文 Date:2019年05月30日 「妻の命日が近づくと必ずと言っていいほど夢を見る。夢の中では〇〇や△△や××が起こる。これらは実際に私が経験したことだ」これが本書の前書きの要旨である。よくあるパターンの文章だと思う。けれど、〇〇、△△、××には、竹槍を太ももに刺され重症を負う、高級料亭で政府関係者と会食、札束がぎっしり入った壺を見せてもらう等、が入る。説明するまでもなく、「よくあるパターン」の経験の類ではない。こういった経験をするなんて、筆者はよほど危険な海外へ滞在してたのか、反社会的な職業か特殊な職業かと疑ってしまう。が、筆者は日本生まれの公団職員で、これらは全て日本で経験したことである。成田空港の建設が決まり、その為の用地買収を行うのが筆者前田氏の仕事だった。新東京国際空港公団が設立されたのが1966年(昭和41年)。当時の国の対応は、現場任せでいい加減なものだった。地元住民(以下農民)は大反発。当時の国内外の情勢も手伝って、空港建設反対運動には政治団体が入り込み、運動は激化していき、ついには死人を出すまでになった。前田氏はその運動の最前線にいた。前田氏は、農民との話し合いや、土地の調査の度に反対派の妨害にあう。竹槍に刺されるだけでなく、投石や拉致等もされた。そんな無法地帯には、有象無象の人々の思惑が絡み合う。もはやきれいごとだけではどうしようもなかった。当時の”成田”でなかったらとてもでないけど許されない行為に加担した事実も告白している。良くも悪くも、仕事のできる前田氏はさぞ邪魔だったに違いない。仕事仲間からは妬まれ、反対派からは目をつけられた。自宅には繰り返し嫌がらせをされた。嫌がらせは次第にエスカレートし、ついに自宅が爆破された。1992年。平成4年のことである。前田氏は自らを石ころと称する。一度転がったら、転がり続けるしかないと。私はそれを見て、「一石を投じる」という文言が浮かんだ。氏は一石を投じる人になったわけではなく、投じられる石そのものになったのだと。とはいえ、「捨て石」としてしまうのはあんまりではないかと思う。突然死した氏の奥様も含め、成田空港建設に心血を注ぎ続けた人々には頭が上がらない。また、長年闘った農民の人たち(過激な政治団体出身者は除く)にも、長年お疲れ様でしたと、上から目線と取られるかもしれないが申し上げたい。そして何より大事なのが、この反対運動(通称三里塚闘争または成田闘争)が未だに続いていることだ。歴史に葬り去りたくても、出来ないのだ。※その他の本の感想は、この記事の一覧表を参照して下さい。特命交渉人用地屋(Amazonリンク) [0回]PR